気まぐれ日記 06年7月

06年6月はここ

7月1日(土)「今年も折り返し点を過ぎて・・・の風さん」
 さあ週末は執筆だ、と意気込んだところが、どうにも体がだるくて力が入らない。有休にした木曜日も似ている。ぐうたらを決め込んでいても始まらないので、雑用を間にはさむことに。
 一昨日、我が家のファックス機が壊れていることが判明した。寿命だと思う。次は高性能複合機と目論んでいたが、予想外にその時期が早く来てしまって慌てた。高性能複合機を導入するときは、階下のパソコンと接続するときだ。が、まだその時期ではない。
 インターネットでファックスを調べてみると、世の中は普通紙ファックスの時代になっていた。我が家のように横着者が多い家では、やはり感熱紙のロールがセットしてあって、留守でも受信できるのが望ましい(つまり紙をセットする余裕はない)。それで、旧型機を検索して注文した。1週間後に届けられるので、うまく設定できるかどうか、それまで分からない。
 そうこうしているうちに職場の飲み会に行く時刻が迫ってきた。今夜、名古屋でやるのである。
 雑用をもっとやっておこうと考え、ゆうパックの準備をし、ハガキを1枚書いた。
 天気予報は夜になるほど崩れるとのことだったので、傘も持った。
 行きにコンビニに寄って、ゆうパックとハガキを出し、電車で名古屋へ向かった。セカンドバッグに忍ばせた本を読んでいたら、偶然、拙著のことが書いてあるのを発見した。
 職場の仲間が50人ほども集まって、約2時間にぎやかに飲んだ。
 酔って帰宅してから、風呂に入り、今こうしてインターネットをやっている。今日最後の雑用だ。
 思えば、今年も折り返し点を過ぎた。
 今年前半の成果は、懸案の長編執筆が完了。日本数学会出版賞を受賞。『円周率を計算した男』の7刷が決定。「大衆文芸」新年号に短編『天連関理府』が掲載された。新鷹会時代小説アンソロジーに短編が収録された。講演は2回である。まずまずといったところか。後半も頑張ろう。

7月2日(日)「某社向けのプロットの書き直しを送信・・・の風さん」
 昨夜は早目に寝て、今朝はゆっくり起きた。梅雨でも天気はまずまずなのに、体がシャキッとしない。パソコンに向かっても集中力が出ず、止むを得ず、たまった雑用をこなしながら気力が湧いてくるのを待った。
 昼過ぎに寝室へ行って、ベッドでなく床に寝転んでみた。体を思い切り伸ばすと気持ちいい。やはりまだ疲れているのかもしれない。午前中に雨が集中的に降って午後から涼しくなっていた。自分も少し寝たら元気が出るかもしれない。
 1時間ほど寝て起きてから昼食を摂った。食後少し読書もしてみた。
 夕方近くなって、パソコンに向かっていたら、急に元気が出てきた。やっと疲れがとれたらしい。
 やろうと思っていた作品の原稿ではなく、某出版社に売り込んでいた作品のプロットの書き直しである。俄然やる気が出てきた。不思議だ。とにかく、やれるときにやっておかないと、私には明日という日が当てにならない。
 そのまま頑張って、何とか11時前にプロットの修正を終え、出版社へ送信した。自宅のアドレスも教えてもらっている編集者なので、ccで自宅へも送信した。・・・と、まもなく、返信が来た。その自宅からである。やれやれ、申し訳ないことをしてしまったか。
 明日からまた会社の仕事だ。息つく間もない日々が始まる。

7月4日(火)「激務の翌日は・・・の風さん」
 昨日は会社の仕事で大きなヤマ場を迎え、うまく乗り切れなかったため、午前零時ころまで反省会となった。だから、帰宅は今日の午前1時を過ぎていた……と書くと、労働基準監督署が後日査察に来そうだが、残っていたのは全員管理職で〜す(ふん)。
 そんな昨日とは関係なく、今日は計画的な有休。
 午前中に、北隣の土地購入のための売買契約をしてきた。売主がよい方だったし、仲介業者も親切にしてくれたので、気持ちよく契約は終了した。今日中に登記も完了するので、いよいよ土地が正式に手に入ったわけだ。すぐにどうこうということはないが、何とか元気なうちに一流の作家となって、もう一度マイホームを建築したい。そう。一流の作家にふさわしい家を作りたい。それが、52歳の鳴海風の新たな夢だ。もちろん夢はそれだけではない。夢は限りなくある。夢は多いほどよい。人生が充実するから。
 帰りにワイフとランチを食べて、地元の図書館にちょっと寄った。貸出証が行方不明になっているワイフの代わりに、石田衣良の本を2冊も借りてやった。どうしてワイフは夫よりも他の作家をカッコいいと言い、夫の本よりも他の作家の本ばかり読むのだろう。
 いったん帰宅して会社へ電話して仕事の話をたっぷりしてから少し昼寝した。
 夕方になり、読みかけの本を持って整形外科へ行った。診察を受け、痛み止めの薬をもらうためだ。待っている間に、読みかけの本を読み終えた。
 帰宅して、週末の講演(これは会社の仕事)の準備をした。
 夕食後、来月の広島での講演のための要旨を下書きした。明日、事務局へ送るつもり。
 先日失敗したコクワガタの「クワタン」の写真をもう一度ケータイで撮影した。
 
 止まり木の上で角を大きく開いているのが「クワタン」だ。ふふ。可愛いヤツ。この後、霧吹きでシャワーを浴びせてやったら、あわてて止まり木の下へ逃げ込んだぞ。

7月5日(水)「終日怒りの風さんの巻」
 昨日とうってかわって終日梅雨らしい空模様だった。このうっとうしい日に、日本の主権がおかされるような事件が続いて起きた。北朝鮮によるミサイル発射訓練と、韓国による日本の排他的経済水域での海流調査である。戦争にならないように外交的な努力で解決しようという日本政府の努力は、幕末の薩長による攘夷行動の処理に苦慮した徳川幕府の行動と一脈通じるものがある。本来、近隣諸国は隣組みたいなものなのだから、仲良くすべきである。しかし、さまざまの事情があって、ときおり目に余る行動をとられる。それでも、いきなり力で解決しようとしないところが情緒の国日本の美点だろう。そうは言っても腹が立つものは腹が立つ。
 今日は、自分自身に腹を立てながら、会社の同僚に八つ当たりを連発した。リーダーとして失格。
 そもそも、臨時雇いの従業員から、私の職場の管理の甘さを指摘されたことが発端だ。
 「私は正社員と同等の仕事を任されることが魅力で臨時雇いの従業員として応募してきた。それで、大いに自覚して、責任をもって働いてきたのに、規律の乱れた職場の雰囲気に嫌気が刺した。このことは1ヶ月前に直属の上司に指摘したが、全く改善がなされなかった。それはそもそも、職場の長であるあなたの考えが甘いからだ」
 この従業員の指摘は、反論の余地がないほど正しく、私は反省せざるを得なかった。
 しかし、すぐに解決できる力のない私は、自分自身に大いに腹を立て、その矛先は、八つ当たりとなって同僚にも向けられた。これだから、いけないのだ、と分かっていても、どうにも自分を抑えることができなかった。
 帰宅してから、南北朝鮮の不埒な行動やまともに報道しないA新聞にも、私の怒りは向けられた。
 なんとも、今日は、私は終日怒ってばかりだった。やれやれ。

7月7日(金)「世界トップクラスの会社の実情は・・・の風さん」
 最近このホームページのアクセスカウンターが順調に増えているので不思議である。もうすぐ新作『ラランデの星』が発売になるし、短い文章があちこちに掲載される予定だし、講演も次々に行うから、ひょっとすると少しは知名度が上がるかもしれない。チャンスだと思って、もうひとふんばりしよう(笑)。
 昨夜は、来月広島でおこなう講演のタイトルや内容を事務局へ提出した。また、今月末に秋田でおこなう講演のためのプロフィールも送った。来月の東京での講演は、とてもうれしいことに、主催者側から『ラランデの星』についてやってほしいと提案があり、一も二もなく承諾した。タイトルやレジュメは来週中とのことである。
 今日は、恐らく深夜まで会社にいることが予想されたが、朝から血圧を上げていなくてもよいスケジュールが組まれていた(ずいぶんとややこしい表現だな)。つまり、朝から電車で名古屋へ出張した。
 午前中は、12時半まで某所でセミナーの講師を3時間務めた。昨年も同じ講義をしたのだが、そのときのアンケート調査結果を知ることができた。このセミナーは11コマから成り、私の担当したコマは理解度、有効度共に11コマ中のトップだった。満足、満足(^_^)。超特急の昼食後、名古屋駅で某社の重役と落ち合って密談をした。それから電車でいったん自宅へ戻り、すばやく着替えて、カバンの中身も換えてからミッシェルで出社した。すぐに上司の重役の来訪を受けて、70分間、業務報告と現場案内をした。
 ここまででも一般の人から見れば、緊張と興奮で血圧がはね上がる仕事のように見えるだろうが、私の場合は、むしろ気楽なものである。それよりも、5時から予定した仕事の方が、もっと大変だった。内容は省くが、予想通り、午前零時半まで会議と作業が続いた。
 帰宅したのは午前1時半で、それから夕食(?)である。これでも、私などまだいい方で、夕方からの会議に同席してくれた他部署の次長は、今週は家に帰っていない(家族が病気で入院したのに)、と言っていた。世界でもトップクラスの会社に勤務している従業員は、誰でもそれなりの厳しい生活を強いられているのだ。
 今年のボーナスの明細票を開いてみたら、悲しいことに手取りが減っていた。昨年は月給が減ってショックを受けたが、もうそろそろこういうことにも慣れないと……。会社の成績がよくても、出来の悪い社員には甘い評価はないのだ。頑張らねば……。

7月8日(土)「休日とは言いながら・・・の風さん」
 昨日は怒涛の1日を過ごしていたため、重要なメールに気が付かなかった。あわてて対応したが後の祭りであった。
 十日前に自宅のファックス機が壊れ、1週間前に今では珍しくなっている感熱紙ファックス機を注文していたが、それがやっと届いた。あれこれと設定して、何とか立ち上げたつもりだが、確認ができない。どういう意味かと言うと、拙宅では、このファックス機の他に、電話機が4台分散設置されている。ISDN契約を解除したので、電話番号は1本である。電話がかかってきて、ファックス機から遠い電話をとったらファックスだったという場合、従来は遠隔操作が必要だった。今回のファックス機もそういった設定はもちろん可能だが、新しい便利な機能があったので、そちらを選択してみた。それがうまく動作するかどうか、ケータイとパソコンを利用してファックスを送って確認したかったのだが、うまくできなかった。
 そのうち昨日までの疲労がどっと出てきて、午後の半分は昼寝で過ごした。
 元気が出るまで、執筆どころではない。

7月9日(日)「人生の価値とは・・・の風さん」
 ある功成り名を遂げた人が(先日逝去された著名な詩人だが)、自分の人生で価値があったのは、子供を作って育てたことだ、と断言していた。この文句はなかなか考えさせるものがあった。
 今日も疲労がとれないまま起き出して、午後からは止むを得ず出社した。なんとか2時間半ほどで切り上げたと思ったのも束の間、ケータイに悲報が飛び込んできた。
 新鷹会で最もお世話になった野村敏雄先生の奥様が亡くなられたというものだった。このご夫婦は、ちょうど1年前に次男を突然病気でなくし、以来、奥様は激しく気落ちしておられたという話を聞いていた。恐らく、その心痛が死期を早めたのではないかと推察される。81歳だった。
 世の中では逆縁という。年長者から順にあの世へ旅立つのが普通なのに、その逆ほど不幸なことはない。
 逆縁の悲しさを想像すると、著名な詩人の言葉があらためて胸に響いてくる。
 しかし、悲報はそれだけではなかった。11日(火)が通夜で、12日(水)が告別式とのことだったが、喪主である野村先生が、通夜には出られるものの、告別式の日は自身がある重い病気のために緊急入院することになっているという。
 帰宅してから、会社の同僚や新鷹会の仲間と綿密な連絡を取り合って、私は、11日(火)の通夜に参列することにした。
 当日は、野村先生本人とご家族(妹さんや長男の方がみえるはず)とよく話をしたい。

7月10日(月)「ロボットは人間に危害を与えてはならない・・・の風さん」
 会社の仕事で横浜方面へ出張し、遅くまで仕事してしまったので、横浜のホテルに宿泊し、明日は有休にした。野村先生の奥様の通夜に参列するためである。ダークスーツなので、あとは黒いネクタイと数珠で武装すれば、通夜へは行ける。
 仕事を終えて横浜駅に着いたのが9時ころで、とりあえず夕食を摂ってからホテルにチェックインした。
 日中、かなり暑かったので、部屋へ入って冷房を入れ、すぐにバスタブにお湯を張って、リラックスした。それで、気分はさっぱりしたのだが、毎日超多忙の生活が続いていて、持参してきた本を読む元気が出ない。それで、1年に1度くらいしかない、テレビを観た。
 軍事目的にロボット技術が使われているという特集番組で、無人の飛行機が高空からミサイルを発射して殺傷したシーンはショックだった。かつて、ダイナマイトや原子爆弾の破壊力の大きさに、発明した科学者の平和を願う気持ちが高まった事実があるが、ロボット技術はどうだろう。筑波大学の先生が、アメリカ国防省の誘いに応じなかったところは、拍手を送りたかった。
 アシモフの予言というか提言は素晴らしい。

7月11日(火)「通夜の出来事・・・の風さん」
 久しぶりによく寝た。睡眠十分である。
 遅いチェックアウトをして、横浜から東京へ向かった。東京駅で帰りの新幹線をほぼ終電に変更した。
 それから新宿へ向かい、紀伊国屋書店に入って、時代小説のコーナーを点検した。私の本は1冊もない。やはりコンスタントに出版しなければいけないと反省した。こんなことをしながら、実は、職場へじゃんじゃん電話をかけまくっていた。やはり仕事が心配なのである。俺って、貧乏性だなあ(笑)。
 2時半から某出版社と打ち合わせた。今年の初めからプロットで相談している作品である。編集者は真剣にアドバイスしてくれていて、最初はエンターティンメントに徹するつもりだったのが、いつのまにか本格的な作品に方向付けされてきた。
 夏期休暇前までに、もう一度プロットを提出する約束をして別れた。
 その後、一人で喫茶店へ移動し、A4用紙で15枚もあるプロットを再読しながら、修正の方向を確認した。
 時間になったので、黒いネクタイを締めて、西武新宿線で通夜の会場へ向かった。
 目的の駅で、新鷹会の仲間3人と合流した。
 通夜は、野村先生の人望を反映して、参列者が多かった。
 腹が立ったことが二つあった。一つ目は、坊主の最後の挨拶(高話)で、くだらない話を軽い喋り方で延々とやりやがった。通夜の意義を何と心得ているのだろう。菩提寺の住職とはとても思えなかった。二つ目は、喪主である野村先生の挨拶を、皆の視線から外した場所からマイクで語りかける形でやったことだ。明日の告別式に、野村先生は入院のために欠席するので、本来の挨拶ができない。通夜の席での喪主の挨拶は普通でないから、というのが理由らしかったが、そんなことはどうでもいいではないか。とても感動的なお話だったのに、多くの参列者の面前でさせないとは配慮がなさすぎる!
 野村先生の挨拶の中で、50年連れ添った奥様に対して、今回の野村先生の入院を言い出しそびれているうちに、奥様が倒れたとのこと。その奥様が病院に運ばれたとき、野村先生ご自身も入院中になっていて、最期を看取ることができないのではないかと直感されたそうだ。それで、駆けつけた親族に病室から一時出て行ってもらい、夫婦二人だけの最後のお別れをしたそうだ。だから、実際に最期を看取ることはできなかったが、思い残すことはない、という話だった。語りかけても応答のない奥様に向かって、野村先生がどのようなお別れをしたのか、想像するだけで涙が止まらなかった。
 通夜からの帰りの電車で、途中まで平岩弓枝先生とご一緒し、まもなく出版される拙著の話ができた。父と息子の葛藤がテーマで、執筆中に実際に父が亡くなって、主人公と同じ立場を経験することになったが、結局、父を理解しないまま死なれてしまったという話をした。平岩先生は、明後日の直木賞選考委員会の話なども引き合いに出しながら、やはり小説は人間が描けてなければ駄目だ、理解しないままお父さんに死なれてしまっても、その後、お父さんを理解するための調査をする心がけは、人間としても作家としてもとても大切なことだ、とおっしゃられた。
 帰りの新幹線では、ようやく読書する元気が戻っていた。
 

7月15日(土)「たまには幸福な気分・・・の風さん」
 3年ぶりの新刊『ラランデの星』の見本が届いた。店頭に並ぶのは24日か25日ごろとのことだったので、見本が届くのは予想よりも早かった。
 開封するとぶ厚いし重い。定価も2000円と高価だ。加えて、装丁が地味である。黙っていたのでは売れないと思った(こんなことを著者が言っていたのではいけないが、正直な感想である)。とにかく、考えられるだけの宣伝活動を展開し、中身で勝負するしかない。
 すぐに配本リストの作成、宛名シールの印刷といった作業に入ったが、別に初体験でもないのに、これがなかなか手間だった。年々、作家鳴海風としての知人が増えているので、配本すべきかどうかの判断の対象が多いのである。今回は、友人を減らし、ここ3年間に知り合った人たちの中でも、特にお世話になっている方や宣伝活動に力を貸してくれそうな方を選ぶことにした。やっと印刷できる段階になったら、今度はプリンターがトラブルで、またまた時間がかかった。
 そうこうしているうちに、今日が新鷹会の勉強会の日だったことに気が付いた。あまりにも会社生活が多忙で、帰宅してからの作家としての活動が不足しているため、今日も上京を諦めていたのである。しかし、今日は、「大衆文芸」用の短い原稿を提出する期限だったので、新鷹会の友人にメール転送しておき、印刷して代わりに提出してもらった。それから、「大衆文芸」編集として、9月号の原稿を依頼している人たちに確認をする仕事もあった。相手の受信態勢に応じて電子メールとファックスと往復はがきを使い分けるので、けっこう面倒くさい。
 夜になって、勉強会の様子の報告があった。昨年長谷川伸の会に入会した仙台在住の女性が初参加し、原稿も読んだそうで、なかなかの秀作だったという。年初から参加している男性もかなり力があると聞いているし、私が出席しない方が、会は発展するのかもしれない(んなバカな)。
 とにかく、新刊の見本が届いためでたい日だったので、恒例の大きな達磨に目を入れ、さらに知人からいただいたシャンパンを開けた。幸福な気分だ。

7月16日(日)「パソコンおたくとゴキハンターの巻」
 今日も昨日の続きの作業である。パソコンは便利だし仕上がりも美しいのだが、案外時間がかかってしまう。繰り返し作業が続けば当然効率的だが、オリジナルの仕事や初めての仕事には不向きというか時間がかかる。ネットにつながっていると、さらに仕事が脱線気味になっていけない。そういったことを日本推理作家協会報の7月号に、ハガキ随想「私の魔物はパソコン、性別は♀(?)」と題して書いた。ちょうどそれが届いたところでもある。
 今日もその魔物にとりつかれた。
 配本リストや宛名シールを作っているうちに、オリジナルの登場人物一覧表と栞(しおり)をデザインすることを思いついた。今回の『ラランデの星』は、原稿用紙で700枚近いので、それらはあった方がいい。思いついたが吉日というか、思いついたが百年目というのか知らないが、始めると凝り出すのが私の困った性格だ。
 完成したのが夜になってしまった。我ながらまずまずの出来。早速子供らに見せて自慢した。反応は微妙。ま、いっかー。今回はワイフにも宣伝するように強要。しぶしぶ納得。ま、いっかー。
 そこまでいってから、実は、翌日つまり月曜日の仕事の準備を始めた。年に数回開催される社長報告の資料作成である(そんなこと今頃やっていていいのかぁ?)。ま、とにかく午前零時過ぎに一段落したので、階下へ降りてちょっと喉の渇きをいやそうとしたら、ワイフから報告があった。
 「ペコがまたゴキをつかまえたよ」
 「すげぇ! 今年早くも3匹目だね」
 「なんかすごくたくさんいる家みたい」
 誇らしげなペコをつかまえて抱き上げ、頬擦りしようとすると、すかさずワイフ。
 「口のあたりにゴキの体の一部がまだついているわよ」
 
7月21日(金)「人生の舵取り・・・の風さん」
 梅雨明けがなかなかやって来ないように、会社の仕事の緊迫した状態が依然と続いている。
 17日(月)に社長報告を終えた。普通なら、こういったビッグイベントだけで、終わったら「打ち上げ会」をしてもいいくらいだ。ところが、今の状態というのは、社長報告の直前も直後も気の抜けない会議や実務がひしめいているのだ。帰宅は11時近かった。
 18日(火)は、重要な試作品を顧客に納入した日で、その取り扱いについて案の定議論になり、結論は翌日の電話会議(国内3ヶ所を結んで行われる)に持ち越された。精神的な疲労もあって、帰宅後ダウン。
 19日(水)は、その電話会議がおこなわれた。共通の目的へ向けて方向を探る火花が散らされた。課題の残る結論となった。久々に外が明るいうちに退社した。夕食後書斎にこもり、新刊『ラランデの星』がまもなく出ることを、あちこちへメールしまくった。これだけで3時間もかかってしまった。
 20日(木)は、どちらかというとじっくり仕事ができる可能性のある日だった。ところが、そうは問屋が卸さない。協力部署の部長が急遽見学にやってきたり、協力会社の訪問を受けたり、次々に会議が発生し、その間に常時かかえる1800件の未読メール(社内)を、タイトルだけから判断して重要度の順に開いて処置していった。さらに今日は、抜き打ちの突発地震訓練が実施される可能性のきわめて高い日だったが、なかった。定時後に、協力部署のキーマンが二人職場へやってきて、9時過ぎまでデータの解析と考察をしてくれた。
 そして、21日(金)となった。
 小雨が降る中、本社へ直行した。午前中に二つの会議で熱くなり、昼食後、土砂降りの中を、近くにある会社のゲストハウスへ移動した。午後1時から、今後のプロジェクトの行方を左右しかねない某社との会議を予定しているのだ。これがほぼ考えたとおりの形で3時過ぎに終了した。やれやれである。近未来のことは慌てふためくことがないから、たいてい想定通りにいくのだ。
 ミッシェルで製作所へ戻るころは雨は上がっていた。
 待ったなしの状態は依然として続いているので、定時後も作戦会議が続き、9時近くなって一同疲れて「とりあえず終了」した(笑)。
 夕食後に、近所の人の話題が出た。現在フェリーの船長をしているその方は、どうやら50歳になるらしく、次の10年は外国航路の船に乗ることにしたのだという。それで会社を変えた。そうなると、今の家には3ヶ月に1回くらいしか戻ってこない。留守がちになるが、よろしくとのことだった。独身とはいえ、自らの人生を自由にそして勇気と夢をもってデザインしていけることに、拍手したいと思うと同時に羨望も抱いてしまう。誰でも、一人で、二人三人といった複数の人生は送れない。しかし、節目節目で舵取りしながら違った世界に身を置いていくやり方は、船乗りらしいともいえるが、誰でも真似できることではない。
 私も何とか、会社から一歩外へ出たときは、小説家としての自覚をもって堂々と生きていきたいものだ。

7月22日(土)「フレー、フレー、秋高(しゅうこう)・・・の風さん」
 天気予報通りに青空が広がって、何となく元気が出る。今日は、精一杯遅れている仕事をするのだ。
 先ず、1週間ぶりに気まぐれ日記の更新をした。今年になってからアクセスカウンターの進みが速く、明らかに訪れるゲストは増えている。その人たちにために、近況やら私の考え方を伝えなければならない。その手段として気まぐれ日記が用意されているのだから、なんとかせっせと更新しなければならない。しかし、それが思うようにできない。原因は、「すまじきものは宮仕え」・・・おっと、愚痴は言うまい言うまいYou might think but today’s some fish(言うまいと思えど今日の暑さかな) いやあ、年寄りは昔のギャグをよく覚えていますなあ(笑)。
 続いて、某誌から依頼されている随筆の下書きをした。ここの随筆には「心に響く何か」を盛り込まねばならない。精神的な何かである。そういうコンセプトの雑誌だからだ。やはり身近なネタを利用することにした。
 それができてから、いよいよ来週末に予定されている講演のスライドの準備である。
 講演は心のふるさと秋田でおこなう。会社員としての講演が予定されていて、地元の企業人を対象に私が経験してきた会社の仕事の特徴を紹介させていただく。実は、講演はそれだけではなく、たまたま母校秋田高校の後輩が企画運営をしている人の中にいたことから、母校にも寄って、新刊『ラランデの星』を寄贈しつつ、ついでにスピーチもしてくることになっている。
 母校といえば、今まさに夏の全国高校野球選手権の地方大会の真っ最中である。毎朝、朝刊の中から母校の結果を、胸をドキドキさせながら、目を皿のようにして探し出す。なにしろ夏の大会では、母校が甲子園に出場したら応援に行くことにしている。かつて在学中に、学校が決めなくても授業をさぼって応援に行っていたくらい、すぐに血が熱くたぎるタイプだ。甲子園まで行ったら、紫の旗を探す。紫紺の優勝旗ではない。紫は秋田高校のカラーで、県人会などの旗を目指して、OBだと名乗れば、堂々と応援するためのアルプススタンドの切符が手に入るのだ。
 今年も順調に準々決勝まで進んでいることを知っていた。今日は、準決勝である。対戦相手は本荘高校。春の大会では勝っている相手だが、好投手を擁しているらしく油断はできない。
 明日の朝刊が待ちきれなくて、寝る前にネット検索してみたら、1対12で大敗していた。うえーん(涙)。来年こそ。

7月23日(日)「7ヶ月ぶりの筋トレ・・・の風さん」
 たっぷり寝ても疲れがとれない。これは明らかに体力が落ちているせいだ。夕方、とうとうトレーニングに行く決心をした。
 うまい具合に雨も上がっていた。
 昨年の10月1日以来なので7ヶ月ぶりになる。それだけ『ラランデの星』の完成のために、寸暇を惜しんで取り組んでいたわけだ。しかし、その反動として、肉体はヨレヨレとなってしまった。筋肉も落ち、恐らく体脂肪率も悲惨な数値になっているだろう。体重測定も、体脂肪率測定もやめて、とにかく体をトレーニングに慣れさせることにした。
 先ず、自転車漕ぎを30分。腹筋と背筋は通常通りにこなした。それからのマシンは、負荷をすべて1ランクずつ落とした。ラットプルダウン、レッグプレス、ショルダープレス、レッグカール、バーチカルローイング、レッグエクステンション、バタフライとこなし、カーフレイズを50回やってからストレッチで仕上げとした。これで、明日、筋肉痛が出れば、今日のトレーニングの意味があったことになる。

7月24日(月)「28日へ向けて着々と準備・・・の風さん」
 朝から足の筋肉痛を感じた。昨日のトレーニングの意味があったことになる。思わずバンザイを叫ぶ。
 今日は本社へ直行したのだが、雨の月曜日にもかかわらず恐ろしく道路が空いていて驚いた。何のことはない。世の中は夏休みに入っているのだそうだ。
 今日は、28日の講演のための動画ファイルをもらい、新調した鳴海風の名刺を受け取った。
 帰宅は遅くなったが、帰りにパソコンショップへ寄って、複合機を購入した。これは、書斎に常備しているプリンターが最近不調だからだ。ヘッドを交換してもあまり良くならないので、怒りの購入である。プリンターは廃棄し、余ったスキャナーは長男へお下がりだ。
 今夜は、依頼原稿であるエッセイの最後の仕上げをした。

7月25日(火)「いよいよ発売開始・・・の風さん」
 6時起床で本社へ直行し、重役への報告後、製作所へ戻った。日差しはそれほどでもなかったが、やけに蒸し暑い日だ。
 今日も、顧客が来社し、長〜い会議となった。
 終わったのが9時近く。席に戻ると目の前にZhang Ziyiのまぼろしが・・・、じゃなかった、新刊本がしっかり足元に届いていた。明日から販売開始できるだろうか。
 帰宅すると、拙宅にも新刊本の詰まった段ボール箱が二つ。ワイフのトール教室での販売は断念したので、自力で頑張るしかない。
 秘書からのメール報告では、名古屋のJR高島屋にある三省堂で、『ラランデの星』がしっかり平積みになっていたそうだ。
 知人と電話で話したら、知人宅近くの三洋堂にも『ラランデの星』があったそうだ。
 昨日のエッセイの最終仕上げをして印刷した。不調のプリンターが今夜は絶好調である。変だ。
 階下におりたら、ペコが何かを発見したらしいという報告。怪しい箱をひっくり返してみたら・・・何もいなかった。

7月26日(水)「新刊の使い道・・・の風さん」
 相変わらず多忙だが、かなり切羽詰ってきた。せっかく新刊が届いているが、製作所内での販売は明日以降にして、夕方本社へちょっと出かけた。あわただしくサインをしていくらか販売もした。真っ先に届けたのは、亡くなった会社の上司の奥さんのところで、直接持参している余裕はなかったので、会社の先輩に託した。新刊の使い道は、必ずしも売るためだけではない。
 階段の昇り降りをしているときに、つまずいて転びそうになった。年だな。
 猛暑の中、退社して、有料道路を使って速攻で帰宅。
 夕食後、28日のプレゼン資料の仕上げをした。ファイルサイズが大きいので、バラバラに分割して秋田の事務局へ送った。失敗続きで、けっこう時間がかかった。
 そのような頃、亡くなった会社の上司の奥さんから電話があり、本が届いたと言う。しばらく話し込んで、思い出にふけったが、すぐに現実の話になった。子供の成長は早い。

7月27日(木)「出張準備が下手な風さんの巻」
 そろそろ梅雨明けだろう。3日連続の猛暑である。
 今日は、昨日に続いて、勤務地での新刊販売開始である。そうは言っても、なかなか思うように行かない。第一、届いた宅配の梱包を解いている余裕さえないのだ。昼前にやっと取り出して、こそこそサインを入れて、最も近所の知人(優れた技能を持っており、人格的にも尊敬している方である)に持って行った。執筆の背景について、こぼれ話をたくさんしてあげた。かなり興味を持ってくれたのではないだろうか。こういった立派な人に、やっと自分の姿を紹介できてうれしい。
 結局、勤務地では5冊売れた。本社でも営業・販売部長が順調に売り上げを伸ばしてくれていた。
 定時後、地元の図書館に『ラランデの星』2冊と文庫のアンソロジー『遠き雷鳴』『武士道春秋』を寄贈に行った。館長までが待っていてくれ、例によって私の長話を熱心に聞いてくれ、おまけにどっさり購入までしてくれた。
 帰宅してから、明日の準備を始めたのだが、ちっとも効率が上がらない。出版社からダイレクトに送ってもらった『ラランデの星』が届いたという知らせが、あちこちからとどく。いちいち返信してしまう。もう深夜である。

7月28日(金)「思わぬクラス会に喜びの風さんの巻」
 夕べは出張準備で深夜になってしまったが、6時半起床。たくさんの荷物を持って電車で名古屋へ。乗車した電車でひたすら睡眠をとろうとするが、なぜか興奮していて眠れない。
 午前中に秋田に入ろうとすると小牧からの飛行機しかなかった。ところが、今や愛知県の中心的なエアーターミナルは中部国際空港である。名古屋駅から小牧空港へのアクセスがひどく不便だった。最初にここだと思い込んでいた連絡バスの停留所はセントレア行きのそれで、昔、小牧への高速バスが発着していたバスセンターには、その便は廃止されていた。窓口で尋ねると、耳の遠い私に対して不親切にも上品な小声で教えてくれるものだから、よく聞き取れない。駅前をウロウロ探し回って、やっと見つけたときには、バスは出た後だった。次の便まで40分以上もあり、それでは乗り遅れる恐れがあったため、タクシーで小牧空港へ向かった。
 JALのCRJ−200は小型ジェットで50人乗り。満席だったが、天気も良く快適なフライトだった。しかし、この機中でも仮眠をとろうとしたができなかった。やがて、秋田空港が近付いて、機内アナウンスがあった。「到着地の秋田の天候は、曇りで、気温は22℃・・・」にゃにぃ? 22℃だって?
 どんよりした秋田空港の滑走路に降り立つと、風がひんやりする。ロビーまで歩いているうちに小雨まで降り出した。
 迎えの秋田県庁の職員と簡単な昼食を摂ってから、公用車で母校の秋田高校へ向かった。これも県の高校教育課の手配で、2年の理数科の生徒を対象に、出来の悪いOBとして講演するのが目的だ。校舎へつながる坂道を公用車で上っていたら、突然目の前にカモシカが現れた! 立ち止まったカモシカが振り返ると、もう1頭いる。親子か夫婦か? 急いで、ケータイのカメラで撮影を試みようとしたが、飛行機に搭乗するときに電源を切ったままだった。
 改築された校舎に入るのは、卒業以来初めてである。ゆとりの交流スペースのある洒落た校舎で、開放的な雰囲気の中で講演ができた。講演のタイトルは、得意の「夢はかなう」。サブタイトルは「帰ってきた落ちこぼれ」だ(笑)。
 講演後、校長室で休憩していると、校長先生が県庁へ電話して、私の3年のときのクラスメイトを呼び出してくれた。『円周率を計算した男』を知っていたが、その著者がお前だとは知らなかった、という。「今夜会おうぜ」ということになった。全くのハプニングである。
 そこから由利本荘市へ向かった。今年の高校野球の準決勝で秋田高校を破り、甲子園へ行く本荘高校があるところだ。既に、市内は甲子園出場で盛り上がっていた。
 ほとんど休む間もなく、1時間半の講演をこなした。ここでも、高校のクラスメイトがやってきて言葉を交わした。
 再び、夕闇迫る7号線を北上して秋田市へ戻った。左側は日本海で、高校1年のときは、海に沈む夕日を見ながらディーゼルカーで帰宅したものだ。
 温泉で有名なホテルにチェックインしてから、懇親会場へ徒歩で向かった。
 そこから今夜会う約束のクラスメイトに居場所を連絡した。
 懇親会は知ったメンバーが多く、リラックスできた。そのうち、約束していたクラスメイトが3人、懇親会場を探し当てて訪ねてきてくれたので、しばらく一緒に飲んだ後、4人で会場から失礼した。
 外へ出ると雨が強く降っている。止むを得ず2軒隣の居酒屋へ入って、34年ぶりの再会を祝した。私は持参した新刊『ラランデの星』を3人にプレゼントした。クラスメイトは、私が小説で成功することを祈りつつ、これから全面的に支援してくれることを約束してくれた。やはり持つべきものは友達だ。
 11時過ぎたので、別れを惜しみつつ、臨時のクラス会はお開きにすることにした。ああ、クラスメイトっていいなあ。
 ホテルに戻ったが、時間が遅く、名物の温泉が閉まっていて入れなかった。
 しかし、このホテル、LANケーブルがつながっていて、アシュレイをつないでみると、すぐにインターネットがつながり、メールチェックできた。酔っていたが、かたっぱしから返信しまくった。
 就寝は午前1時半となった。涼しいので冷房を切る。
 
7月29日(土)「USJ・・・の風さん」
 5時15分に目覚ましとモーニングコールをセットしてあった。二つ同時に鳴ったが、モーニングコールの方が音が大きかった。睡眠時間は4時間もないが、とにかく起きられた。しばらくして、県庁の人から電話があり「お目覚めになりましたか?」と言われた。今朝が早いことを伝えてあったので、わざわざ自宅からモーニングコールをしてくれたのだ。しかも「空港までお送りします」と言う。休日ですからと遠慮したのだが、「お送りしますよ」と重ねて言われるので、その言葉に甘えることにした。
 私も今日は休日である。実は、大阪でワイフと合流してUSJに行くことにしていた。今年前半のご苦労様会である。秋田から大阪へ移動するわけで、秋田空港8時発の便しかなく、ホテルの朝食開始時間よりも早くチェックアウトして出発しなければならなかった。
 今朝も空はどんよりとしていて雨模様。気温も低い。ホテルの外へ出たところへ、県庁の人が奥様専用かと思われる自家用車でやってきた。私服に着替えていたので、向こうはすぐには私と気付かなかったようで、通りすぎた(笑)。
 連絡バスよりも15分くらい早く秋田空港に着いた。短い時間だったが、本当に親身になって世話してくれた方とそこで別れた。また、いつか一緒に仕事したいものだ。
 USJで食べるおやつのつもりで金萬(きんまん)を一箱買い、さすがに空腹だったので、レストランでモーニングセットを食べ、搭乗してまもなく朝食が出た。おにぎり2個とお茶がパックになっていた。知らなかった。残して荷物にしたくなかったので食べた。うまかったが、腹がはちきれそうになった。機中で朝刊に目を通す。今夜の「チャングムの誓い」のあらすじを読む。
 大阪は普通の夏だった。すぐに連絡バスに乗れて新大阪駅へ。新幹線改札口で、10時半着のワイフを待つ。とにかく暑い。冷夏の秋田からやってきただけにこたえる。寝不足でもあるし。
 無事ワイフと合流してユニバーサルシティへ向かい、ホテルにチェックインして荷物を預けた。身軽になって「さあー、行くぞ!」と叫びたかったが、連日の寝不足という不安が頭から消えない。ET、スパイダーマンという私にとっての初めてのアトラクションを楽しんだ。スパイダーマンは実に面白い。実際の乗り物の動きと3Dの映像の組み合わせで、普通では得られない体感が得られる。ただし、錯覚なのだが。とは言え、寝不足の人間にはつらかった。外へ出たら目が回っている。
 夕方になって、とうとう寝不足による限界が訪れた。レストランでビールをひと口飲んだところでダウン。約1時間、ワイフをほったらかしにして昏々と眠る。
 ラストのピーターパンショーを路上に座って眺めた。ショーは、空中を飛んだところだけがちょっと面白かっただけで、他はまったくつまらなかった。スケールが小さくて何をやっているのか分からないし、ストーリーもさっぱりつかめない。終わってすぐ、トイレに行きたかったので、人の流れと反対方向へ進んだら、スパイダーマンのアトラクションの待ち時間が10分になっていた。躊躇せずに飛び込んだ。堪能した。
 閉園の9時ギリギリにUSJを出て、インド料理のレストランに入った。料理人は本当にインド人らしい。店内の飾り付けもどことなくインドを感じる。テレビでエロチックなショーをやっていた。マハラジャビールというインドのビールを注文した。今日3杯目のビールである。暑くて汗をかくので、ビールにちっとも酔わない。アルコールに強い人がビールに酔わないという疑似体験ができた。本格的なインドカレーも食べ、しぶとくナッツの入ったアイスクリームまで食べて、大満足となった。
 ホテルが目の前だった。部屋へ入ると、ワイフはすぐにテレビのスイッチを入れた。早くも「チャングムの誓い」を見る態勢だ。私はのんびりと風呂につかって最近の疲れをとることにした。
 それにしても、今年前半は、実によく仕事したな。もちろん、鳴海風として。後半も頑張れよ、と自らに檄を飛ばす。

7月30日(日)「プラド美術館展鑑賞・・・の風さん」
 31階のレストランに朝食を摂りに行った。少し待たされたが、窓際の席に案内された。空はどこまでも青く、眼下には安治川(あじかわ)がゆったりと流れ、その向こうに高層ビルが林立する市街地が広がっている。今日も暑くなりそうだ。
 バイキングは厳選された料理ばかりで、非常に美味しかった。
 チェックアウトして、いったんユニバーサルシティ駅から新大阪駅へ向かい、コインロッカーに荷物を預けて身軽になってから、天王寺駅を目指した。今日の目的は、大阪市立美術館で開催されているプラド美術館展鑑賞である。
 プラド美術館はマドリッドにあるスペイン最大の美術館だ。かつてワイフとスペインに旅したとき、トラブルのためにプラド美術館に行くことができなかった。大阪市立美術館の建物はヨーロッパ風だし、伝統ある美術館である。そこで開催されているプラド美術館展は、見逃すわけにはいかなかった。バックが暗い宗教的な絵画が多かったが、たっぷり2時間堪能した。そして、疲れた。
 地下鉄で新大阪駅に戻って、韓国風焼肉レストランで、遅い昼食にした。生ビールをまた飲んだが、汗をかいているせいか、ちっとも酔わない。阪神タイガースグッズなどの買い物をして、レシートがちょっとたまったので、抽選のガラガラをやったら、3等賞(1000円券)などが当たった。それでまた、いくつか買い物をした。これから運が上向いていく兆候かもしれない。
 夕方の新幹線で帰途についた。
 最寄の駅に着いたのは午後7時を少し回ったころだった。あたりは既に暗くなりかけている。駅から外へ出ると、風が吹きつけてきた。秋のような涼しい風だった。やっと遅い梅雨明けになったと思ったら、もう秋風が立っている。季節は人を待たないのか。

06年8月はここ

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